~夢だった喫茶店付きの家を購入したのに住宅ローンが払えない! その時、僕がしたこととは~

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。


野崎家、家を買う

僕らがマイホームを買ったのは、娘のあかねが5歳の時。息子のみなとはまだ2歳で、自分の部屋ができることの意味すらわかっていなかった。新築・中古を問わず内見した時も、広いリビングを走り回れるだけで楽しそうだった。茜はひらがなを覚えると同時にクラシック音楽に強い興味を示し、妻は「親バカと言われるかも」と言いながら、クラシック音楽のCD集を買い与えた。

僕らは、茜がいつか楽器を演奏したいと言っても大丈夫なように、防音室のある中古住宅を選んだ。国道16号から一本裏道に入ったところにある、3階建ての家。1階が店舗と防音室、2階がリビングと水回り、3階に寝室が3部屋あって、前の家主はここでバーを経営していたらしい。防音室は、ちょっとしたカラオケルームとして使われていたのだという。

僕は脱サラして喫茶店のマスターになるのが夢で、若い頃からずっと貯金をしていた。妻のしおりの実家はケーキ屋で、同じ市内にある。経営学部を卒業してからずっと実家を手伝っていた彼女は、「飲食店を経営するって大変なのよ?」とこぼしつつも、僕の夢を一緒に叶えようと言ってくれた。

栞には一目惚れだった。偶然、妹の誕生祝いのケーキを買いに行った店で、彼女が働いていたのだ。内緒で母親の誕生祝いをしたいとケーキを買いに来た子どもが、お金が足りなくて困っていたところ、彼女は「お祝いだから特別よ」と20円おまけしてあげていた。その優しさと明るくはじけるような笑顔に、一瞬で恋をした。彼女に会うためだけに、毎日会社帰りにケーキを買いに通った。その結果5kgも太ったが、彼女と付き合えて結婚までできたのだから、万々歳だ。

結婚して2年後には茜が、その3年後には湊が生まれて、野崎家はにぎやかになった。妻と話し合って、茜が小学校に上がる前に家を買おうということになり、喫茶店もできる立地と間取りの家を探した。「転職してからだと、住宅ローンの審査に通りづらいそうよ」という妻の言葉に、それなら家も店も一緒に手に入れてしまえ、と思ったのだ。

2DKのアパートから店舗付きの3LDKに引っ越して、3階の主寝室を僕ら夫婦の部屋に、6帖の洋室2部屋を子ども部屋にした。しかし、妻の両親から電子ピアノを買ってもらった茜は防音室で遊ぶことが多く、湊も真似して弾きたがって、自然と家族で過ごす場所は防音室になった。ドアを隔てた場所に家族を感じながら、僕が喫茶店を営む準備を少しずつ始めたのは、引っ越してから半年後だった。

覚えることは山のようにあった。僕は紅茶が好きだから、紅茶専門の喫茶店にしようと考えていたが、紅茶だけではやっていけない。コーヒー党のお客様が来ても、居心地が良いと思ってもらえる喫茶店にしたかった。一冊の本を手にふらりと入って、おいしい飲み物をお供に、ゆっくり小説の世界に没頭できるような、そんな店が理想だ。軽食も作れないといけない。

考えた末、4駅先にある雰囲気の良い喫茶店に弟子入りすることにした。貸店舗でやっているというその店には、僕の理想が詰まっていた。コーヒーがメインなので、商売敵にはならないところも良かった。サラリーマンをしながら、定時後は喫茶店で勉強。正直きつかったが、夢のためだと思えば頑張れた。喫茶店を経営するにあたって最低限必要な、食品衛生責任者の資格も取った。


夢の喫茶店経営

リフォーム会社に勤めていた僕はコネを使って、バーだった店舗部分を、落ち着いた雰囲気のカフェにリフォームしてもらった。壁紙を張り替え、お客様用のトイレも新しい温水洗浄便座に交換した。木製のテーブルや飴色のカウンターは雰囲気があっていいので、そのまま使うことにした。

お客様が座る椅子をソファに変えたほうがいいだろうか、と妻に相談したら「お金がいくらあっても足りないわ。そういうことは常連のお客様ができてから考えて」と言われた。その結果、バー時代に使われていた椅子をそのまま使うことになった。

晴れて脱サラし、喫茶店をオープンしたのは、家を買って1年半後だった。いつもマイペースでのんびりしていた僕にしては、頑張ったほうだと思う。店名は、開業する1年も前から『puertoプエルト』と決めていた。実家を手伝っていた妻が、ホールスタッフとして働いてくれることになった。紅茶やコーヒー、フレッシュジュース以外にも軽食を出すが、ケーキは妻の実家からホールで届けてもらったものを提供することにした。

開店の日、元の職場の同僚や妻の実家からのスタンドフラワーが並び、お客様も行列ができるほど混雑した。うれしい悲鳴だ。開店前にサンドイッチを作っておいて良かった。朝から晩まで立ちっぱなしで紅茶やコーヒーをれ、研修で習ったパスタを作りまくった。余裕なんて全くなくて、気づけば顔がこわばっている自分がいた。トイレで鏡を見るたびに「これじゃダメだ」と落ち込んだが、接客をする妻の明るい笑顔には救われた。

「おいしかったよ。今度はすいてる時に、ゆっくり過ごしたいな」
そう言って帰っていくお客様に「ありがとうございました」と頭を下げながら、居心地の良い喫茶店を目指そうと決意を新たにした。

閉店後、ゆっくり風呂につかりながら笑顔を作ってみたが、目指している『人柄の良いマスター』には程遠いなと思った。しかし、そんな僕の苦悩に反して、お客様の入りは上々だった。おそらく妻の笑顔と人柄が、客足と運を引き寄せていたのだろう。

開店して3ヶ月後には常連のお客様もできて、僕の淹れる紅茶と妻の実家のケーキは、街で評判になった。毎日開店3時間後には、ケーキが売り切れる事態になった。「行列ができると、急かされているような気がする」と常連客がこぼしたのを聞いて、予約制に変えたのもその頃だ。予約席を設けて、予約のお客様は1時間いられるようにした。その頃から、徐々に笑顔で接客できるようになった。

「最近、余裕が出てきたんじゃない?」
閉店後、防音室で茜のピアノを聞いている時に、湊とボール遊びをしている妻に言われた。さすがによく見ているな、と思った。最近、湊はピアノに興味を示さない。保育園でボール遊びを覚えた湊は、将来はサッカー選手になるんだと息巻いている。楽しそうに覚えたばかりのリフティングを披露する湊は、あまり笑わない茜まで笑顔にする天才だ。

「目指している姿に一歩近づけたかな」
「何を目指してるのか知らないけど、ヒゲを伸ばすのはやめてね」
「なんだそりゃ」
「あなたの『理想のマスター像』よ」
「伸ばさないよ。第一、似合わない」

しかし、幸せな時は長くは続かなかった。謎の感染症が猛威を振るい始めていたのだ。


野崎家、家を手放す

「お客さん、今日も来ないね…」
ボックス席に座って宿題をしていた茜が、ため息をつく。新型コロナウイルス感染拡大のため、小学校は春休みまで臨時休校だ。4月から3年生になる茜は算数が苦手で、休みに入ってからは店内で、妻の栞に教えてもらいながら勉強している。保育園も休みなので、僕は湊のひらがなの勉強に付き合っていた。
「今日は、予約のお客様が5組かぁ……今月も赤字ね」
「仕入れ量を減らしても、赤字は変わらないか…」
このままじゃ、この先住宅ローンの返済が厳しくなるな、と僕は天を仰いだ。

妻がパートに出ると言い出したのは、緊急事態宣言の延長が決まった時だった。「不要不急の外出を控えましょう」とは言っても、生きるためにはお金が必要だ。スーパーでレジ打ちをすると言って面接に行き、翌週には働き始めた。僕はお客様の来ない店を臨時休業にして、2人の子どもの面倒をみた。自分も何か収入につながることをしようと思ったが、保育園も休みなので、湊をみていなければならなかった。

支援金も給付金ももらったが、いよいよ住宅ローンが返済できなくなり、銀行に相談した。「当面、利息だけの返済でいいですよ」と言ってくれたが、妻と何度も話し合い、僕は家を手放す決意をした。それは同時に店も手放すことにつながるので、なかなか決断できなかった。

何社かに売却の査定をしてもらったが、元々が中古住宅だったので、家自体はたいした額にならないようだった。「立地はいいので、更地にしたら売れますよ」とも言われた。商店街の仲間が店舗兼自宅を売却して、そのまま住んでいるという話を聞いたのは、そんな時だった。詳しく聞くと、『リースバック』を利用したのだと教えてくれた。

よくわからなかったので、家族そろって不動産会社を訪れた。
「リースバックは、自宅を売却した後に賃貸借契約を結ぶことで、そのまま住み続けられるサービスです。売却するので現金が手に入り、家の所有者は当社に移ります。家賃を払っていただくことで、引っ越さずにそのまま住めますし、お店も続けられますよ」
ベテランっぽい営業さんは、わかりやすく説明してくれた。家賃を払えば引っ越さずに済んで、店も続けられる? そんなうまい話があるのか?

「ただ、お家の売却代金が住宅ローンの残債を下回る場合、住宅ローンが完済できなければリースバックはご利用いただけません。住宅ローンを完済できないと、融資先の金融機関から抵当権を外してもらえず、お家の引き渡しができないからです。リースバックによる売却価格は、相場よりも安くなることもあります。一度、訪問査定させていただいてもよろしいですか?」
やはりメリットだけではなかったか。しかし、思い入れのある家を更地にして売れと言う会社より、よほど好感が持てた。

査定をお願いして、リースバックが利用できるとわかった時は、家族で大喜びした。賃貸に変わるってことは、家賃を払っていかなきゃならないってことなのに、目先のことしか見えていなかった。その点も、営業さんに釘を刺された。
「お店、うまくいって、お客様が戻ってくるといいですね。家賃と生活資金は稼げないと。買い戻し特約をつければ、将来買い戻すこともできますよ。がんばってくださいね」

そして僕らは家を手放し、家を売ったことを周囲に知られることなく、家賃を払ってそのまま住み続けることになった。


住みながら資金調達!?

しかし、遠のいた客足はなかなか戻っては来なかった。妻がレジ打ちのパートと実家の手伝いを掛け持ちしてくれているおかげで、なんとか生活できていた。家賃と生活費、教育費だけでいっぱいいっぱいで、貯金もなく、不安でたまらなかった。賃貸に変わったので、固定資産税を払わなくて済むのは良かった。

店はしっかり感染予防対策を立てたが、1日に入るのは多くて10組、少ない時は2組くらいだった。湊が小学校に上がったのを機に、店を開けるのは予約が入った時だけにして、僕はフードデリバリーの副業を始めた。

デリバリーの仕事は、予想以上に忙しかった。みんながどれほど出歩くことに恐怖を感じているのかを思い知った。喫茶店だけど、うちもポットに入れた紅茶や軽食をデリバリーしたらどうだろう? そう思ったが、需要が少ない中、店で仕込みや調理をするよりも、配達だけやるほうが稼げると思ってやめた。

とにかくがむしゃらに働いた。家族の誕生日にはプレゼントが買えるようになり、少しずつ貯金も増え始めた。2度目の緊急事態宣言が発出され、喫茶店はもうやめたほうがいいかなと思いはじめ、企業に再就職することも考えた。立て続けに予約が入ったのは、そんな時だった。

「緊急事態宣言で、自営業の方はすごく大変な思いをしていると聞きます。微力ながらお役に立てたら、と思いまして」
予約者の名前に見覚えがあると思ったら、リースバックを扱ってくれた営業さんだった。他にも、会社の仲間を連れている。
「雰囲気のいいお店ですね。中古の味が活かされてて、それなのに清潔感があって。店を閉めている間も、大切にお手入れなさっているのがわかります」
その時に来店した何人かは、その後も続けて『puertoプエルト』を訪れてくれた。

応援してくれる人がいることがありがたくて、何年かかってもいいからまた喫茶店を盛り上げたいと思った。安定した収入が欲しくてデリバリーの仕事を続けていたけれど、緊急事態宣言の解除とともに、毎日店を開けることに決めた。予約だけでは新規のお客様が増えないと思ったからだ。

バッチリ感染予防対策をして店を開け、モーニングからランチの時間帯だけ営業し、他の時間はデリバリーの仕事を続けた。喫茶店は自分一人でやり、妻には苦労をかけるが、レジ打ちと実家の手伝いを続けてもらうことにした。徐々に客足が戻ってきたのは、緊急事態宣言の解除から4ヶ月ほど経ってからだった。

「マスター、この紅茶おいしいわ。おかわりをくださる?」
「明太子のパスタ、大盛りじゃ足りないから特盛にできますか?」
「お水、こぼしちゃったんだけど…」
「お会計お願いしますー」

一人で切り盛りするのが大変になって、今さらながらに妻のありがたみを感じた。しかし、デリバリーの仕事を辞めて店に専念するには、もっと多くのお客様に来ていただく必要があった。


意外な才能

「メニューを変えればいいんじゃない?」
店のことで悩んでいると伝えると、妻はそう言って、紅茶やフードメニューを変えてみることを提案してきた。
「簡単に言うけどさ、今あるメニューをなくすのは抵抗があるんだ。目玉が欲しいんだよ……席を予約する時にコレだ、っていうような」
「インパクトみたいな?」
「うん」

「じゃあさ、セットメニューに音楽家の名前や、名曲のタイトルがついてたらどう?」
妻と2人で頭を抱えていると、娘の茜がこんなことを言い出した。クラシックが好きな茜らしい、ユニークな発想だった。
「音楽家なら少しは知ってるけど、名曲は……僕はちょっとわからないな」
「私が考えてあげる!」
茜は防音室から名曲集の譜面を持ってきて、ノートにメニューを書き始めた。

「『朝の歌』、これはエルガーの曲なんだけど、クロックムッシュのモーニングセットにいいんじゃない? クロックムッシュに目玉焼きが乗ったクロックマダムのモーニングセットだと、『愛の挨拶』とか」
譜面をめくりながら茜が言うが、どんな曲だかよくわからない。
「まだ弾けないから、CDを聴いてよ」
茜はそう言って笑った。

春のこの時期に出すメニューに『牧神の午後への前奏曲』とか『春の祭典』とか、春らしいメニュー名をつけて、提供する紅茶や軽食の内容は変えないことにした。なんとこれが、新規のお客様に大当たりだった。予約が殺到し、デリバリーの仕事を辞めた。妻もパートを辞めて、店に復帰してくれることになった。作曲家の似顔絵や楽器のイラストが描かれたメニュー表は、妻と茜の合作だ。店内で流していたジャズも、クラシックに変えた。そうすると、クラシック好きのお客様も増えた。

僕は慌ててクラシックの勉強をした。付け焼刃でも、季節ごとのメニュー名をつけられるくらいには、クラシックに詳しくなった。ずっと前から茜のピアノに期待していた妻のほうが勉強熱心で、よくお客様と名曲の話題で盛り上がっている。それでもやっぱり茜が一番詳しくて、学校から帰るとお客様と「今弾いてるのは、ドビュッシーの『アラベスク』で…」などと話している。

連日予約客で大賑わいになった『puertoプエルト』は、雑誌やテレビの取材が入るほどになった。貯金もどんどん増えていき、僕らは家を買い戻そうかと考えはじめた。「リースバックは、ずっと住み続けることができるとは限らない」と聞いていたからだ。


野崎家、家を買い戻す

「買い戻し特約をつけておいて良かった。こんなに早く店がうまくいくとは思ってなかったけど」
そう言いながら、リースバックをしてくれた不動産屋を、3年ぶりに家族で訪れた。あの時の営業さんが、また担当してくれることになった。

「3,400万円でのご売却でしたが、特約をつけた時の説明通り、買い戻し価格は3,800万円になります。それでもよろしいですか?」
売買時の諸費用、買い戻しの諸費用などがかかって、売却時よりも1.1~1.3倍高くなるのだということだ。その点は、買い戻し特約をつけた時にわかっていた。
「わかってます。それでお願いします」

しかし、住宅ローンの審査に通るかが不安だった。ローンの返済も家賃の支払いも滞納はしたことはなかったけれど、安定した収入があるかどうかと聞かれると、そうではなかったからだ。
「ご希望の銀行さんで変動金利が通らなかったら、うちのフラットをご紹介いたします。野崎様は滞納したことがないですし、フラットなら大丈夫。通してみせます!」
力強い言葉だった。その頃の変動金利は超低金利といわれていたが、通らなければ固定金利でもいいと思った。

第一希望の銀行では審査が通らなかったが、フラットなら借りられることになり、僕らは家を買い戻した。引っ越しをしないので、子どもたちは実感がなかったようだが、僕や妻にとっては大きな前進だった。300万円の頭金を支払い、残りの3,500万円は35年ローンを組んだので、月々約11.3万円を払えばいい計算だ。
「76歳まで喫茶店、できるかなぁ…」
先のことを考えても仕方ないが、妻と相談して、余裕のある時に繰り上げ返済をしようと決めた。

買い戻すと、当然のことだが、固定資産税や修繕費用がかかってくることになった。元々が築20年の中古住宅で、僕らが住み始めて6年。あちこちガタが来はじめていた。最初に給湯器がやられて、次は排水管が水漏れした。店の外観を考えると、外壁や屋根塗装にもお金をかけなければならなかった。

店のほうは毎日怖いほど予約が入っていて、娘の茜に感謝した。リフォームや修繕にお金がかかっても、すぐに追いつくほど黒字が続いた。僕らの喫茶店に、家の中に、笑顔の絶えない日常が戻ってきた。

事件はそんな時に起きた。


家出

8歳になったみなとの様子がおかしい。そう気づいたのは、家を買い戻した直後だった。食事の時間になってもリビングに来なくなり、自分の部屋で食べるようになった。部屋に閉じこもっていたかと思ったら、行き先も言わずに遊びに出かける。しかも夜遅い時間にだ。学校だけはきちんと通っているようだが、家族と顔を合わせようとしない。
「湊、どうしたのかしら…」
妻も茜も、心配しているようだった。

「反抗期なんじゃないか?」
3時のティータイムに訪れたお客様が帰り、僕は厨房で皿を片付けていた。妻がカウンターを拭きながら湊のことを相談してきて、僕は深く考えずにそう返した。
「反抗期って、便利な言葉よね。湊がなんでああなったのか……向き合ったことある?」
「ごめん……今夜、ちゃんと話してみるよ」
僕は湊が何に悩んでいるのか、まったく見当がついていなかった。

その晩も湊は自分の部屋で夕食をとり、その後、忍び足で家から出ていこうとした。
「湊、なんでみんなと夕食をとらないんだ? お母さんもお姉ちゃんも、心配してるんだぞ……ちょっと話がある」
「僕は話なんてしたくない!」
「湊!」
湊はスニーカーを引っかけて、家を出て行ってしまった。
そして、そのまま帰ってこなかった。

湊がどこにいるのか、妻と2人で心当たりのある場所を探し回った。友だちの家、コンビニ、公園……どこにもいなかった。警察にも届けを出した。結局その日は帰ってこなくて、翌日も学校を休んだようだった。店を臨時休業にして、妻と2人で隣の駅前まで探した。8歳の子どもが平日にウロウロしていても目立たない場所を考えて、ファミレスやおもちゃ屋も回った。そこでも見当たらなくて、心配で心臓がつぶれそうだった。いよいよ事件に巻き込まれた可能性も考え始めた頃。

「お父さん、湊、見つけたよ!」
茜から携帯に連絡が入った。なんと、小学校の保健室にいたらしい。
「昨日の夜に忍び込んで、ちゃんとベッドで寝たっていうから大物だよね」
そんなわけで、夫婦そろって学校へ湊を迎えに行った。
「ねぇお父さん、あんまり湊を怒らないでね」
何かを知っているのか、茜は電話口でそんなことを言っていた。

「どれだけ心配したと思ってるんだ。一睡もせずに探したんだぞ!」
保健室のベッドに腰かけた湊を叱ると、湊は僕をにらみつけてきた。
「だってお父さん、僕のこといらないでしょ? だから出ていこうと思って」
「なんでそうなる? 父さんはおまえをいらないと思ったことなんかない」

妻が間に入ってよくよく話を聞いてみると、茜のように店の役に立てないことが悔しかったらしい。
「僕、ボールを蹴るくらいしか得意なことないし……家を選んだのだって、お姉ちゃんのためにピアノが弾ける家が欲しかったんでしょ?」

一瞬、何のことか理解が追いつかなかった。8歳ながら、そんなことを考えていたのか……。僕はなんて気のつかない親だったんだろうと、自分を責めた。湊がそんなふうに思っていたとは。


帰る場所

みなと、ごめんな……うちの店名『puertoプエルト』って、どんな意味か話してなかったな。puertoはスペイン語で、訳すと港。心の支えって意味もあるんだ」
「みなと……湊? え…僕の名前?」
ポカンと口を開けて驚いている湊を抱きしめて、妻が言う。
「あんたが生まれる時、お父さんは男の子ができるって大喜びだったのよ。お父さんの兄弟は女性ばっかりだし、その上あんたは難産だったし。湊って名前はお父さんがつけたんだけど、物や人が集まる場所っていう意味なのよ。それって、私たちの家なんじゃないかしら」

「そんなことない。だって、うちはいつだって真ん中にお姉ちゃんがいて、僕はいつも…何もできなくて…」
ボロボロと涙をこぼし始めた湊の頭を撫でて、僕は言った。
「8歳にできることって、限られてるだろ。湊にできることは、元気にサッカーして、家族を笑わせることだ。湊が楽しそうじゃないと、家族みんなの元気がなくなるからな。いなくなってどんなに心配したか……おまえは自分の価値をもっと知ったほうがいい。茜と比べなくていいんだ」
「……ごめんなさい…」

謝ると同時に、湊の腹の虫が盛大に鳴った。それで一気に怒る気も何もかも失せてしまい、僕はグシャグシャと湊の頭をかき回した。
「帰って、メシ食うか」
「うん! お腹すいた!」
昨日の夜から、コンビニで買ったおにぎりを1個しか食べていないらしい。妻は腕によりをかけて料理をすると息巻いた。

「えっ、今日なんのお祝い? ごはんが豪華だけど」
驚く茜に、妻がさらりと言った。
「湊が少しだけ大人になったお祝いよ」
「誕生日はまだ先だったよね?」
茜は首をかしげるが、笑っているので、意味はわかっているようだった。

毎日少しずつ大人になっていく子どもたちを見守って、こうして助け合って生きていこう。家族そろっていれば、どんな困難も、いつか笑って振り返る時がくるから。いつか茜と湊が成長して巣立つ日が来ても、思い出は我が家に残る。この家がある限り、家族が集まることはできるのだから。

湊に店名の意味を語ったこの日のことを、僕は生涯忘れることはないだろう。
何気ない一日一日が、野崎家の足跡になっていく。
僕の心の支え、『puertoプエルト』。
それはお客様だけでなく、家族が集まる場所なのだ。

 

おわり

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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朝日土地建物は、1985年の創業以来、町田・相模原を中心に横浜・大和・藤沢・海老名・川崎・八王子・所沢など首都圏全域で、新築・中古一戸建てやマンションの売買仲介を専門に手がけています。 「未公開物件」などの情報も豊富で、きめ細かな対応による安心・納得の住まい探しをサポートしています

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